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チーム箱館追跡ツアー #37 ~矢不来台場跡
※道南地区南部の概要図はこちら
※写真は全てクリックすると拡大します。

茂辺地~矢不来間の旧道は、未舗装道路で一車線しかありません。そのため、史跡探訪にはちょっと厳しいです。退避スペースがある場所が非常に少ないので、対向車が来たり後から車が来たりするともうOUTなのです。。

◆矢不来台場跡◆ 所在地:北斗市矢不来320番地ほか 交通:JR茂辺地駅徒歩35分くらい
箱館戦争で最大の激戦地、と言われている矢不来台場の跡です。
矢不来は現在でこそ「やふらい」と読みますが、当時は「やぎない」と呼ばれていました。
意味は字の通り「矢が来ない」・・・それだけ攻めにくい場所であるということです。実際、海岸そばまで崖がせり出していて、背後にはこんもりと山と森がある。そんな場所が矢不来付近となります。
国土地理院の2万5000分の1地図※で地形を確認してみてください。海沿いを走る国道228号の際が崖になっていて、さらに等高線の狭い場所が何箇所も見られると思います。
※立体視もできますよ

こちらが矢不来台場跡(の入口)です。
看板と木碑があります。
矢不来台場跡・木碑

矢不来台場跡・説明板

木碑は例えば松前の折戸浜木古内札苅海岸よりは数段きれいで字もハッキリ読めます。
北斗市様、史跡の維持をありがとうございます!

旧道はウチのクルマ以外走っていないだろう。と思いきや、矢不来に近づくと工事車両の大きな駐車場があり(どうやら函館と江差を結ぶ高速道路が建設中らしい)そこから出てきた大型トラックが後ろにピッタリとくっついてきました。。
雨も降っていて、クルマを降りて写真を撮る余裕は全くなし。何とか車の中から2枚だけ撮影しましたが、看板はブレてしまいました。
撮り直そうにも、思い切りクラクションを鳴らされてしまったため、やむなく退散。
次回行く時はもっとちゃんと見学したい史跡です。

【史料にみる矢不来攻防戦】
明治2年(1869)4月29日。
ここ矢不来には、彰義隊120人、神木隊30人、遊撃隊60人ほか伝習隊、衝鋒隊、額兵隊など合計450人ほどが布陣していました(大鳥圭介「南柯紀行」)。
持ち場は矢不来入口が彰義隊、山上は伝習隊・遊撃隊・砲兵隊、天神森は衝鋒隊・会津遊撃隊、関門口砲台と海岸の間道が額兵隊に割り振られています(荒井宣行「蝦夷錦」)。
ところが新政府軍の兵力は陸軍だけで2400人(「南柯紀行」「蝦夷錦」今井信郎「蝦夷之夢」)。かつ、海岸からは海軍の軍艦(甲鉄・春日・朝陽・飛竜(「蝦夷錦」)が攻撃してきます。
この艦砲射撃がものすごい破壊力で、その様子は下記のように記述されています。

・(甲鉄・春日などの新政府軍軍艦は大砲を発し)其音声海陸ニ響キ渡リ、山岳モ崩ルルガ如シ。
・・・(中略)甲鉄艦ヨリ放つたる七十斤ノ弾丸、台場ニ当リテ砲車ヲ砕ク。(「蝦夷錦」)

・軍艦より飛来る大弾雨の如くにて、或は谷に落ち、或は樹を倒し、又胸壁を崩し、土を四方に飛散し、勢甚だ猛烈なり。(「南柯紀行」)

・敵艦(中略)岸近ク進ミ来ツテ我側方ヨリ破烈霰弾ヲ猛射ス。(中略)海軍ヨリ撃チ出ス二十四斤、三十斤、五十斤、七十斤、八十斤ノ尖弾新築ノ壁ヲ貫キテ数十人ヲ糜爛(びらん・ただれ死)シ、大砲ヲ打砕ク。(今井信郎「北国戦争概略衝鉾隊之記」)。

もうーこの甲鉄の70ポンドってなんだよ!!強烈すぎる。
さらに甲鉄には300ポンドアームストロング砲まで搭載されていたというから嫌になります。そりゃ宮古湾まで出かけていって拿捕したくなるわけです。

この強烈な艦砲射撃で瓦解しそうになる兵に向って叫んでいるのがこの人です!!!

・諸隊皆崩レ総督大鳥圭介刃ヲ揮リ大喝シテ曰、今日已ニ迫ル皆止テ戦ヘ、退ク者在レハ斬ル。(島田魁「島田魁日記」)

「退く者は斬る!」は歳さんだけじゃないですよー、大鳥先生だって言うんですっ!!
この矢不来の戦いは多くの死傷者を出し、箱館陸軍は富川・有川まで退くことになります。また、矢不来の防衛ラインが破られた結果、二股口は退路を絶たれる恐れがあり、不敗ではありましたがこちらも撤退し、五稜郭に引き上げとなりました。

この矢不来台場ですが、もう少し山のほうに第2台場があります。ただし土塁は残っているそうで、艦砲射撃で胸壁が破壊されるほどの被害を受けたとは考えにくいようです。それと、各種史料に残っている
・額兵隊の星隊長が、自殺を図ったこと、また
・額兵隊は海沿いの間道が守備位置だったこと
を考えると、最も激しく攻撃を受けたのは、もっと海寄りの土塁、胸壁を備えた陣地(=台場?)ではないかと思います

なお台場跡の場所に関する情報が非常に少なく、場所の特定に苦労したのですが、キトラさんの調査のおかげで迷わず訪問することができました。
キトラさんありがとうございました!!
こちらがキトラさんが調べて作成してくださった地図です。行かれる方、参考になさってください。
矢不来台場跡の場所byキトラさん


次は富川八幡宮へ向います。

次の記事は→こちら


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2007/07/19(Thu) | チーム箱館追跡ツアー2006 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
コメント
-- --

>入潮さん
こんにちは~
もう箱館ツアーからまる1年ですんで、さすがに完結しないとヤバイわけです。あと富川八幡を書いて、グルメ+温泉編とまとめ記事を書き、INDEXをつければおしまい。ここまで長かった。。
大鳥先生@島田魁日記、ですが、島田の日記は島田がいないところの話も結構書いてあります(松前攻防戦あたりなど)ので、誰かに聞いて書いたものの可能性はあると思います。
個人的には、一番言いそうにないキャラの大鳥先生が「斬る!」とか言っていたらカッコイイな、と思っています。歳さんや今井さんなんかはいかにも言いそうだし(汗)
私にとって大鳥先生@箱館 の一番シビれるシーンは、七重浜での「なーに俺に弾があたるもんか、弾のほうから避けていくぞっ!」@死生の境、ですね!!!(力説)
すみませんミーハーで・・・
by: ままこっち * 2007/07/20 23:01 * URL [ 編集] | page top↑
-- --

>高松飛鳥さん
土塁、かなりしっかり残っているみたいですね。ああー上ってみたかった。
しかしあの旧道を大型トラックやダンプが行き来しているってのがスゴイです。もの凄い圧迫感でした(汗)
高速道路、必要なんでしょうか。。Webの情報によれば、最初は台場跡をモロにつっきる感じでの計画だったようですが、史跡ということで避けて工事が進んだ、とか。。
マイナーかもしれませんが、しっかり土塁が残っているなら保存して欲しいと思いますね。
by: ままこっち * 2007/07/20 22:56 * URL [ 編集] | page top↑
--NoTitle--

お久しぶりですー。精力的なレポート、頭が下がります。
「逃げると斬る」というのは今井信郎をはじめ色んな方が仰っていますが。撒兵戦術が身に染み付いている大鳥は言わないのではないかと思ったりします。施錠のない銃で密集した隊形で戦っていた時代の発想ですので。指揮官の経歴や性格もあるかもしれませんが…
単に島田氏が、「ここを破られたら終わりだ」などの言葉の記憶違いしたか、戦いの一生懸命さを表すのによく聞いていた語を当てはめてくれたのではないかと思ったりするのですが。(元々解釈に戸惑う表現の多い方ですし…) あ、すみません、島田氏は二股ではなく海岸側にいらしたのでしたっけ?
イメージ的なことでよけいな口を差し挟んでしまって、すみませんですー。
by: 入潮 * 2007/07/20 04:07 * URL [ 編集] | page top↑
--矢不来台場は・・・--

私が行ったときは、手前の待避場に車を置きました。そこから歩いたんです。
私は上まで上らなかったんですが、台場の上まで行った同行の友人がその台場跡に感動してました。(その人は、歴史ファンじゃなかったんですが。)
物凄くはっきり台場が残ってるそうです。特に上のほう・・広くて歩きやすかった・・と言ってました。

でも、行きにくいんですよね。ここまで。
by: 高松飛鳥 * 2007/07/19 22:21 * URL [ 編集] | page top↑
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