会津ツアレポ#5 天寧寺(近藤勇墓所)
※お知らせ※
このレポのみ、内容的に「歳三」カテゴリに分類したいのでこちらに置いておきます

近藤先生のお墓は山の上のほうで、結構登るよ。ということを知っていたので、
本当は朝一番で元気なうちに容保公のお墓と一緒に回る予定だったけれど、
チビッコがお城に行きたい!と言ったため最後に行くことになりました。
でも、体力さえあれば、1日の最後に回ることをお勧めします。
私の場合、最後で本当に良かったと思いました。霊体験とは言わないけど、強烈に感じるものがあったからです。
もし朝回っていたら、疲れて他には行けなかったかも。。

★天寧寺(近藤勇墓所)★
東山温泉に行く途中にあります。武家屋敷もすぐ近くです。
街道から左に細い道を入ると、そこは住宅地。。さらに奥へと進み、急な上り坂を上ると
そこが天寧寺。クルマは数台停めることができます。
チビッコとダンナは疲れたのでクルマで待っていることになりました。
ビデオを持って私だけがお墓参りをすることに。

お寺なので他にもいろいろな家のお墓がたくさんあります。
墓地入口に看板を発見。
天寧寺・看板


さていよいよ墓所へ向かいます。砂利道を上り、左手に折れるとすぐ山道に。
約5分ほど上って行くと、近藤先生のお墓にたどり着きます。
・・・と書くとすごく簡単ですが、結構な山道で、多分雨や雪が降った後はかなりぬかるむだろう、
と思うほどの道です。上りもあれば若干の下りもあるし。運動靴でないとちょっとね。

途中、右に大きくヘアピンカーブのように上っていく場所があるんですが
この辺りから急にある言葉が私に突き刺さってきた。
こんな感じ:

・歳、後を頼む。俺の代わりに戦い続けてくれ。
・流山で腹を切らずに投降したことを悔いてはいない。自分を責めるな。
俺は自分の人生、恥じるようなことは何もなかった。堂々と沙汰を受け入れようと思う。
だからおまえも、自分に恥じないような生き方をしろ。

とにかくこう感じたんです。本当かどうかとか、そんなのどうでもよくて、
墓所を目指して山道を登っている最中からこの言葉がどんどん出てきたんです。

↑には文章で書きましたが、強烈に感じたのはこの3つのキーワード:
・後を頼む。
・自分を責めるな。俺は後悔していない。
・俺の人生、恥じるようなことは何も無い。お前も自分に恥じない生き方をしろ。

それがどーっと流れ込んできた。同じフレーズが頭の中をぐるぐる回る、自分の口をついて出る。

その時点でもう泣きそうでした。
うわ、もう来てる。やばい!と思いながらも、歩みを進めて墓所に到着。
墓所には墓石以外に、辞世詩の碑、歳さんの慰霊碑などがありました。
近藤勇・辞世

近藤勇・墓碑



近藤先生のお墓の前に立って一礼し、合掌したら涙が出てきた。溢れて来た。
近藤先生の、歳さんへのメッセージがここでも強烈に伝わってきた。
大河で歳三を演った山本耕史君は、この墓所で

・鳥肌が立った。シンクロした。ここに歳三は間違いなく立っていた。
歳三の何かが絶対、ここに入っていると思った

と感じたそうですが、私が感じたのは「近藤さんの、歳さんに送るメッセージ」でした。
立っていられないくらい強烈に感じたんです。しばらく休憩しないと山を下りられないくらい。

ひとしきり涙を流して少し落ち着いてから、さんざん迷って写真撮影。
この時、勿論近藤先生に「写真を撮らせていただきます」と一礼したんですが
他のお墓では感じなかった「いいよいいよ大丈夫だから」のような、快く受け入れてくれるメッセージを感じました。ありがとう近藤先生。

山を下りて、あまりの疲労感に容保公のお墓は立ち寄らず、この日は終了。
翌日は若松を出て、歳さんが負傷した時に通った道、会津西街道(下野街道)を栃木方面へと上ります。

さてここからが「歳三カテゴリ」たる所以。

以前から、今でも、歳さんは何を思って鳥羽伏見以降、箱館まで戦っていったのかと考えます。
よく「死に場所を探していた」とも言われますが、私はそうは思っていないんです。
その思いは、今回会津の近藤先生のお墓を訪ねたことで、確信に変わりました。

・歳さんは決して、死にたかった訳ではない。
・むしろ自分が正しいと思った道を生き続ける、目の前のミッションに対して全力で取り組む。
それをしてきた結果が「箱館まで行った」、「二股口を死守した」、「弁天台場を救うために出陣した」
ことなのではないか、と。被弾したのは結果論、で。。

そしてなぜか、ここで大鳥先生の登場なんです。
大鳥先生は何故か私にとって「生の象徴」。勿論戦に出て行くわけですから常に「死」と隣り合わせ
なんですが。完全なる想像ですが、箱館で、もう多分勝ち目はないだろうとなった時

・死ぬことだけが、義を貫く唯一の方法なのだろうか
・生きて、次の世に経験を伝えていくことは、義を貫くことではないのだろうか
 勿論、連中(新政府軍)が俺たちを生かしておいてくれるならば、の話だが

・・・と歳さんに言ったんじゃないか、と。。
つい義に「殉じる」ほうを考えてしまう歳さんを諌めるような立場だったと思うんですよね。
だから、この近藤さんのメッセージも含めて、「たられば」ですがもしあの日、5月11日に被弾せず、
そのまま歳さんが生きていたら。時期は多少異なっていても、降伏勧告に応じて投降したかもしれない。
「降伏したら多分斬首」説もありますが、彼の立場は箱館政府陸軍奉行並であり、彼の上司は総裁榎本、陸軍奉行大鳥、の2人いて、2人とも斬首されなかったことを思うと、助かった可能性も結構あると思うんです。
歳さんがけじめをつけるために自刃したとしても、五稜郭で、じゃなかったと思う。
しばらく投獄されて、解放されて、旧隊士がちゃんと仕事を見つけて生活できるようになったことを確認してから。
何故かそう思うのです。
それが「出陣前日に、米味噌のツケを全て清算した男」の、後始末のつけ方じゃないか、と。

是非もう一度、天寧寺に行きたい。
同じ感覚がもう一度あれば、より確信できると思います。
2005/09/02(Fri) | 土方歳三(&旧幕臣ズ) | トラックバック(2) | コメント(16) | page top↑
コメント
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>うかっちょさん
はじめまして〜いらっしゃいまし。
以前の記事にコメントがあるのってちょっと嬉しいです。しかも天寧寺レポ。
読んでくださるだけで大喜びです。あの場所での体験、今でも強烈に残っているので。。
うかっちょさんのように、大河で初めて新選組を知った方もかなり多いと思います。そういう方にこそ、史実新選組を、戊辰戦争をしっかり知って欲しいんです。ミタニンの脚本は大変よく出来ていたと思いますが、史実まんまではないし、ドラマはあくまでドラマ、浅田次郎の壬生義士や司馬先生の燃え剣、こちらも大好きですが「小説」。なのである程度の線引きは必要だと思いますね。
史実を調べるほど、歳さんのバックグラウンドやものの考え方を知るほどに、「死に場所を求めていたのではない」ことを願い、そして天寧寺でそれを確信しました。うかっちょさんも機会があれば是非、訪問してみて下さい。
また気軽にコメントしてくださいね!
by: ままこっち * 2005/11/14 23:09 * URL [ 編集] | page top↑
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ままこっちさん、初めまして。
私はうかっちょと申します。
実は少し前(2週間くらい前)にままこっちさんのこちらのブログを知ることができ、拝見させていただいていました。
昨日からこちらの記事を読ませていただいて、感動してじわっときて、ROMだけではなく、コメントを入れさせていただこうと思ったしだいです。
私は、幕末史に特に詳しいわけではなく、昨年の「新選組!」を観てから山本耕史さんのファンになった者で、新選組に関する本もそんなに読んではいません。浅田次郎さん著の『壬生義士伝』には感動して号泣したのですが。
でも、ままこっちさんの「土方歳三は死に場所を探して北上したのではない。」というお考えに感動しました。
号泣した『壬生義士伝』では、土方さん最期の日の捉え方は「死にに行く」だったのですが、ままこっちさんの記事を読ませていただいて、土方さんを新たな目で見つめ直し、足跡を辿って行く事が出来たらな、と心から思いました。
感動のリポートと、新たな視点を与えて下さったこと、感謝します。
他にもダイエットやマネー情報、他の記事も楽しく拝見させていただいているところです。(会津士魂は私も挫折中です。爆)
これからもうかがわせてくださいませ。よろしくお願いします。
by: うかっちょ * 2005/11/14 08:51 * URL [ 編集] | page top↑
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Akiさんお帰りなさいませ

天寧寺、行ってきましたね!
TBありがとうございます♪コメントはAkiさんとこに書きますネ
by: ままこっち * 2005/09/22 21:05 * URL [ 編集] | page top↑
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行ってきました、天寧寺。
TB場所を間違えて、N○Kの番宣記事に天寧寺をやっちゃいました〜。
すみませんが消去お願いします。申し訳ないです。
後ほど改めてTBさせて頂きます。
by: Aki_1031 * 2005/09/22 09:25 * URL [ 編集] | page top↑
--水魚さんこんにちは--

訪問ありがとうございます♪
天寧寺は3泊4日のツアーの中で、私にとって最大のハイライトでした。
こんな経験はしたことがなかったし、非常に驚いた&疲れたんですが、自分の心身ともにそういったことが起こる状態だったのかもしれません。
おそらく会津はこれっきりではなく、今後何度も訪れる場所になると
思います。行って良かったと思います。
今日、お土産などオマケの記事もUPしたので、旅の参考になれば幸いです!
by: ままこっち * 2005/09/07 23:35 * URL [ 編集] | page top↑
--参考になります--

引っ越しして、本当にすっきり軽くなりましたね。
素敵な旅行記ありがとうございます。わたしもこの秋には会津に行きたいので、参考になります。
天寧寺、そんなに来ましたか。これは日程の山場にしなければ……
土方以外にも京都の一会桑政権の人達が結構箱舘まで行ってますよね、永井様とか桑名公とか、それだけあの人達は自分たちの正しさを信じていたんだと、本で読みました。
それは近藤でも同じだったはずですよね。
わたしは霊感とかないですけど、近藤の墓にあったかさ、大きさを感じる人は他にもいらっしゃるようで、なんだか嬉しいです。
by: 水魚 * 2005/09/07 22:52 * URL [ 編集] | page top↑
--一緒に泣いてくれた一人虫さん--

こんにちは。ままこっちです。
一人虫さんがレポを読んで涙を流してくださった。
きっと「あの時間」を共有できたんじゃないかな、と思います。
ホントに、山登っている最中から泣きそうだったんですよ。
近藤先生の声は聞こえませんでしたが、音声ではなく
言葉なんです、フレーズ。。
で、何故か私も歳さんに語りかけていました。
「歳さん、自分を責めないで。近藤先生は歳さんのせいじゃないって言っているよ、そして後を頼むって言っているよ」と。。
何でしょうね。こんな経験初めてなので自分でもビックリです。
同じように感じてくれた一人虫さん。ありがとう。
是非会津行って下さい。私もこの思いを胸に、函館に、また日野に、行きたいと思います。(何故か京都じゃないんですよねえ。。)
by: ままこっち * 2005/09/06 23:24 * URL [ 編集] | page top↑
--Akiさん気をつけて!--

Akiさん毎度です!
会津行かれるんですか〜いいところでしたよ。
私も次回はオトナだけで行きたい。いや出来れば、1人で行きたい。
1人で浸りたい。。そう思いました。
季節の変わり目なので、風邪を引いたりしないで下さいねっ
あっ、もうちょっとレポ記事書きます。参考になるといいなあ。
by: ままこっち * 2005/09/06 23:19 * URL [ 編集] | page top↑
--まきちんさん、こんにちは--

まきちんさんお初です〜
私が歳さんに一目ぼれしたのは中学3年の時ですから
もう20年前となっちまいました。
でもここまでハマッたのは、やっぱり昨年の大河のお陰です。
歳さんや新選組については本や小説がいろいろ出ているので
どんどん入手して勉強してくださいっ!
ただ、小説は創作部分がかなり多いので、史実と混同しないように史実のほうもガッチリ押さえておく必要がありますヨ
by: ままこっち * 2005/09/06 23:17 * URL [ 編集] | page top↑
--もまさん、いつもどうもです!--

もまさん、旧ブログへも書き込みいただき、感謝多謝です。
歳さんは結果的に銃弾に倒れ、男の美学を貫いた形になりましたが
天寧寺に行って、「歳さんはあの日、死ぬために弁天台場に向かった
のではない!」と確信しました。
生き残ってブリュネに誘われて渡仏なんてしていたら。。
ああー!お洒落でセンスのいい歳さんはますます。。キャー!!
なんちゃって。笑!なコメントですみません。
by: ままこっち * 2005/09/06 23:15 * URL [ 編集] | page top↑
--稀菜春さんこんにちは--

>稀菜春さん
いらっしゃいませ〜♪
私は坊主の孫ですが(ホント)、霊体験なんて今まで1回もしたことがなく、心霊写真もホンモノは見たことはありません。
だから今回の経験は本当にビックリだったんです。
でも自然に感じたことなので、大事にしたいなあと思います。
またお立ち寄り下さいネ!
by: ままこっち * 2005/09/06 23:03 * URL [ 編集] | page top↑
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ままこっちさん、こんばんは。すばらしいレポートをありがとうございます。読んでいて、ぽろぽろ泣けてきました(今、鼻をかんでます)。
私も、決して土方さんは「死地を求めて闘った」のでなはないと思います。生きるために闘った、と。
だから、北方謙三先生の「黒龍の柩」が大好きなんです。北方先生曰く「土方は一人になってから、一度も陸戦では負けていない。本気で闘っていたということだよ。そんな人間が、死地を求めるなんていうはずがない」。小説で、初めて「私の土方さん」を見つけた!と思いました。
だから、私も行きます天寧寺、ぜったいに。「いつか行こう」じゃなく、絶対に行く。土方さんが立っていた地面に、私も立ちたいと思います。
本当に感謝します、ままこっちさん。
by: 一人虫 * 2005/09/06 20:33 * URL [ 編集] | page top↑
--祝・お引越し!--

ままこっちさん、お引越しおめでとうございます!
軽くなりましたね〜♪
バックの写真が変わるのも素敵☆

会津の旅、楽しく読ませて頂きました。
近藤さんのお墓で、耕史クンと同じように、
何か「感じた」ものがあったんですね〜!(驚)

再来週には私も出陣する予定です。
残念ながら耕史クンの洋装にはお目見えすること叶いませんけど。。。
ままこっちさんのように何か暖かいものが感じられるといいな…。
by: Aki_1031 * 2005/09/06 14:37 * URL [ 編集] | page top↑
--お邪魔します♪--

土方副長大好き仲間(勝手に命名 爆)のままこっち様、お邪魔致しますm(_ _"m)ペコリ
先日は我「闇ナベ」へのご訪問、ありがとうございました。
ただただ「土方副長好き」というだけで、まだまだ知識が追いつかないまきちんでございます。
ままこっち様のおうちで、色々勉強させて頂きますね♪
これからもちょくちょくお邪魔させて頂きますので、宜しくお願いしま〜す^^
by: まきちん * 2005/09/06 11:03 * URL [ 編集] | page top↑
--祝お引越し!--

ほんと、軽くなりましたね!
すっきりして、とてもイイ感じです。v-238
私も、「戦死は結果」説、押したいです。
結果として、非常に潔く美しく散ってしまったわけですが、生き残ってその後の人生…もアリだったんじゃないかと、最近思うようになりました。
ままこっちさんのおっしゃるように、歳三がその後の隊士の行く末をみていたなら、相馬主計は死なずにすんだかも。
生き残りの隊士を連れて、海外勇躍とか。
ブリュネに誘われて、フランス陸軍で活躍なんて希望です!(夢見すぎですね。^^;)
by: もま * 2005/09/05 22:37 * URL [ 編集] | page top↑
--引越しおめでとう♪--

こんばんは

いや、もうさくっと軽くっていいですね〜♪
Yahooのブログは重いですもんね。
にしても不思議で貴重な体験をしましたね。
私は霊体験に多少あったことあるので信じます。
わかってくれる人には訴えてくれるんではないでしょうか・・・
すごく誇らしいことだと思います。
by: 稀菜春 * 2005/09/05 22:05 * URL [ 編集] | page top↑
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