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京都・新選組ツアーレポ#1 旧前川邸~山南敬助切腹の場所~
11/5(土)。東京、京都ともに晴れ。
東京集合組は朝8時過ぎの「のぞみ」に乗車、一路京都へ。
京都駅前のホテルで、現地集合組と待ち合わせていざ、散策スタートです!

お昼を四条大宮でとり、壬生近辺の史跡を巡ります。
※リンク先は国土交通省近畿地方整備局浪速国道事務所のページ。
今回訪問した場所全てをカバーしています

◆旧前川邸◆
前川邸門-2

(門の外から)
言わずと知れた、新選組の屯所の一つです。
新選組の前身はご承知のとおり「幕府で募集した浪士組」なのですが、文久3年(1863)2月23日、浪士組が上洛した時は人数が234名と非常に多かったため、数ヶ所に分宿することになりました。そのうち、たまたま近藤、芹沢一派の逗留先になったのが「八木邸」です。

ところが浪士組が発起人清河八郎の策略により江戸に戻る一方、残る道を選択したのが新選組の前身「壬生浪士組」。当初は13名(一説ではもっと人数が多い)でスタートしましたが、隊士が増えるに従って八木家だけでは収容しきれなくなり、坊城通りを挟んで向かい側にある前川邸も借り受けて屯所にしていました。

前川邸は非常に立派なお屋敷で、敷地も広く部屋数も多いです。
エピソードとして有名なのは「総長・山南敬助が切腹した」、「京都焼き討ち計画を準備していた古高俊太郎を蔵で拷問した」、などでしょうか。
前川邸見取り図

現在は田野さんという方が所有されており、私宅でもあるため、内部は非公開となっています。週末のみ門の中の玄関と、その横のスペースで関連グッズの販売がされています。

前川邸というと、山南さんが切腹する直前に恋人の明里と出窓の格子越しに別れを告げた・・・とのエピソードがありますが、現在その出窓は残っていません。
坊城通り側には裏口があり、普段八木邸との行き来にはそちらを使っていたそうです。例の「鴨暗殺」も、裏口から出かけて実行されたと思われます。
前川邸裏口


ちなみに、さらに隊士が増えた新選組は慶応元年春に西本願寺へ屯所を移転しますが、その時に置いていった「迷惑料」は「十両」だったそうです。坊城通りに抜ける穴を掘ったり、使っていない場所を改築して道場にしたりと好きに使っていた割に、十両、というのは・・・歳さんの指示した金額なのかしら。。

前川邸では、いろいろな新選組関連グッズを見かけましたが、おおー!と思って買ってしまったのが3つ。
・前川邸見取り図(1枚50円)
・最近出版の「永倉新八のひ孫が作った本」
・新選組絵地図(400円)
本は一緒に参加のjulesさんにも「面白いよー!買ったら?」と勧められて、ついつい手にとってしまいました。

住所:京都市中京区壬生賀陽御所町49
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2005/11/07(Mon) | 京都新選組ツアー2005 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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