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「未完の多摩共和国」から派生して。(2) ~歳さんは最後まで、日野・多摩を背負っていた~
佐藤文明氏著「未完の多摩共和国」からの派生記事、第2弾です。

この本は多摩全体の話なので、歳さんについての記述はさほど多くありません。
が、史実土方スキーには見逃せないキーワードがあり、今回はそれにフォーカスして「北へと戦い続ける歳さんの心境」について少し触れたいと思います。

この本を読んで、一番心に響いたフレーズ。前の記事にも書きましたが、

われ、日野・佐藤に対し、なにひとつ恥ずるべきことなきゆえ、どうかご安心を。

全てはこの一言に集約されている気がします。
明日の命もしれない、治安の悪い京都で働くこと。
任されている職務をキッチリ全うするために、組織を引き締めること。
要人の息子が入隊すると、各方面に対して細心の注意を払い、処遇を考えたこと。
そういった歳さんの考え、スタンス、行動がスッとつながっていくように思えます。

鳥羽伏見で幕軍として戦うも、江戸へ敗走してきた新選組。
甲州へ向けて彦五郎さん率いる農兵隊「春日隊」を引き連れて、甲陽鎮撫隊として行軍します。
しかし兵の数、銃器の性能の差でやはり敗走。八王子で解散し、彦五郎さん一家は散り散りに身を隠します。
その後五兵衛新田(現、東京綾瀬)に駐屯し兵を集める一方、大久保一翁や勝安房といった幕府要人に対して密使を立て、彦五郎さん一族の赦免を嘆願する近藤先生と歳さん。
その甲斐あって佐藤家一族は赦免されました。

「未完」では、流山での近藤先生の投降をこう書いています:
・勝沼戦争で官軍に刃向かった甲陽鎮撫隊(+春日隊)で、責任あるポジションにいるのは近藤、土方、彦五郎の3名。
・しかし、歳さんは援軍要請に江戸へ行っていたため実際には戦闘には加わっておらず、勝沼戦争においては責任の取りようがない。
→つまり、近藤先生か彦五郎さんが敗軍の責任を取らねばならない。しかし彦五郎さんは日野宿総名主、多摩全体への影響が大きすぎる。
結局近藤先生が責任を負い、同じように幕府要人に対して助命嘆願を働きかければ斬首はないだろう、・・・が顛末だったのではないか、と。

新解釈ですが、全体の流れを考えるとそれも一理あるかもしれません。

当時、反逆者は一族郎党全て斬首、ということがままありました。例えば勘定奉行でやはり主戦派であった小栗忠順。彼は上州に隠棲していたにも関わらず、ちょっとしたことで反逆者扱いされて斬首。彼の親族で助かったのは捕縛直前に逃亡した母親と身重の奥さんだけです。

そして流山で近藤先生と別れた歳さんは幕軍に加わり、宇都宮~会津~蝦夷地へと転戦していくことになります。

筆まめな歳さんが、行軍中は無理にしても箱館から日野へ一通も手紙を出していない理由。
手紙を出すことで、一旦放免された彦五郎さんにまた何か嫌疑がかかってはいけない。
賊軍の汚名を着せられて戦い続けることで、「日野宿名主の佐藤彦五郎」に迷惑をかけないように。
でも、中途半端なことはできない。彦五郎さんの顔に泥を塗ることになる。
そういう気持ちがあったのではないでしょうか。

そして、自由と自治の地・多摩出身の歳さん
榎本釜次郎が描く「中央政府から独立した蝦夷共和国」に、故郷多摩を重ねたのかも。よし、その夢、乗った!というか・・・
かなり「黒龍」に近くなってきちゃいますが。

東国武士として、全てやりきる。それが彼にとっての「義」だったのか・・・

そんな歳さんの、最後の伝言。市村鉄之助に、「日野の佐藤家に戦況を報告せよ」と命じ
・使いの者の身の上、頼み上げ候 そして
われ、日野・佐藤に対し、なにひとつ恥ずるべきことなきゆえ、どうかご安心を

自由と自治の地である故郷日野を、その日野を包含する多摩を、そして日野宿総名主で、かつ義兄である彦五郎さんの思いを背負って戦い続けた歳さん。
その気持ちを思うと胸が張り裂けそうです。
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2005/12/14(Wed) | 土方歳三(&旧幕臣ズ) | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
コメント
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>一人虫さん
もうーーー!!すんばらしいコメント、毎度ありがとうございますっ!!
そぉーなんですよ、私、もともと「黒龍」の歳さん像が結構好きなんですが、「未完」を読んでますます、史実歳さんって「黒龍」の歳さんが一番近い(慶喜公は置いといて)んじゃないかって思ってしまうんです。
雪の大地を踏みしめた時、この広大な寒冷地に創ろうとしている新国家が、自分の次の夢なのだと思っていたと願いたいです。居場所がなくなったなら、自分で作ればいい。実際歳さんはそうやって新選組を作り上げてきたんだし。
もう一度「未完」と「黒龍」を読み返して、年内に石田寺に行って来たいです。
by: ままこっち * 2005/12/16 00:57 * URL [ 編集] | page top↑
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>としずきんさん
もうこの際、本を買っちゃって下さい!本当にオススメです。是非読んで下さい。何度読んでも「われ、日野・佐藤に対し・・・」が頭から離れません。ちなみにケータイのメモ帳にも戒名共々入力しています(やりすぎ?)。
ミタニンは史実スキーで、維新後の多摩が自由民権運動の中心地のひとつだったことを知っているんです。だから「愛しき友よ」#49で、鹿之助さんに「その魂を受け継ぐ者が、この多摩からきっと出る」と言わせているんです。なのに、何故キーマンである彦五郎さんをああ描いたのか、近藤×土方の関係性をああ描いたのか。本当に不思議なんです。
ミタニンに聞いてみたい!!その意図を知りたい!!

by: ままこっち * 2005/12/16 00:51 * URL [ 編集] | page top↑
--やっぱり「黒龍の柩」かも--

ままこっちさん、こんにちは。
なんだか日本全国雪雪雪!でえらいことになってますね。本州で大雪だと、蝦夷地はあまり降らないんですよ。ごめんなさ~い(は?)
考えてみれば、榎本艦隊蝦夷地上陸は、新暦なら今ごろですね。カンペキに冬です。土方君、何を思って雪の大地を踏みしめたのか・・・。
誇り高き郷土・多摩を背負って走り続けた京都の5年。でも、限界も見えたでしょう。所詮は中小企業、名門大企業の傘下で、手を汚す仕事しか請け負わせてもらえない現実。
そんな中で、あれこれ思うことがあっても、「多摩」の束縛(あるいは呪縛)から逃れることは出来ず、自分を押し殺す日々。
近藤さんは、ある意味そうした束縛を嫌って「天狗の仲間」になったり、伊東甲子太郎に懸想?したりしたのかもしれません。多摩は誇るべき郷土だけれど、でももうちょっと自由にさせてよ、やりたいようにさせてよ、という感じでしょうか。ほんのかすかな葛藤だとは思いますが。
そして土方君は、やがて自分自身の「夢」を見つけたのだと思います。それは、多摩の人々を裏切らず、それどころか、多摩の誇りである「自由と自治」の精神をさらに大きく飛躍させたもの。
それが、蝦夷地における新国家建設だったような気がします。大事に守り育てた中小企業・新選組も、新国家の下で、誇り高き仕事に就くことが出来る。京都時代にはついぞ出来なかった「国家を守る」という壮大な仕事が。つまり土方君は、生きること・生き続けることしか考えていなかった。
だから、夢ははかなくついえても、胸を張って言うことができる。「われ、なにひとつ恥ずるべきことなし」と。
by: 一人虫 * 2005/12/15 20:38 * URL [ 編集] | page top↑
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図書館から連絡待ちでまだ読んでないのですが、ままこっちさんの文を読んで「ふむふむ・・・」です。「勝沼戦で責任あるポジションにいたのは、近藤、土方、彦五郎」・・・!
もちろん史実と組!は分けて考えてるのですが、フィクションとしても、彦五郎のあのキャラは問題ですよね。日野にたくさんいらっしゃるの彦五郎ゆかりの人々は、笑って許してくれてるのかしら。
考え様によっては、義経における藤原秀衡くらいの比重にしたっていいんですよね。まあ、その辺を重くしたくなかったという三谷さんの意図はわからなくもないですが、それにしても感動的な「最後の伝言」がぁ・・・。
by: としずきん * 2005/12/14 23:20 * URL [ 編集] | page top↑
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