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「世界ふしぎ発見!」で、皇女和宮特集。
土曜日の「世界ふしぎ発見!」は、皇女和宮特集でした。
たまたまTVをつけていたら、番組予告があり慌てて録画予約。
リアルでも見たんですけどね。

で、皇女和宮。
彼女については悲劇のヒロイン的な取り上げ方が多く、ご存知の方も多いと思います。
和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)は、弘化3年(1846)の生まれで、孝明天皇の異母妹。もともとは有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう、天保6年生まれ)と婚約していたが、公武合体の策を進めるためこれが破棄され、14代将軍の徳川家茂(イエシゲじゃないですよー!)のもとに降嫁することになった。

番組では京都から江戸に下向する際の行列が、1つの宿を通過するのに3日かかった(!)、費用は現在価値で約150億円(!)、降嫁する時に和宮が詠んだ歌の紹介、などが前半部分にありました。

家茂公はとても優しいお人柄だったそうで、婚約破棄までされて降嫁してきた和宮に対して、政略結婚とはいえ真の夫婦として仲良くなりたいと話していたらしいです。実際、贈り物をしたりとかなり気を使っていたようです。(お2人は同じ年に生まれていて同い年)
家茂公のお人柄については、慕う幕臣も数多くおり、人望の厚い方だったようです。脚気で(毒殺説もあり)数え21歳という若さで亡くなったのは残念がる人も多かったらしい。

後半は、長州征伐で江戸を発つ家茂公に、土産は何がいいかと聞かれた和宮が西陣織をと言ったエピソード、家茂公が結局大坂で亡くなり、遺品が戻ってきた時に西陣織の反物も一緒だったことで和宮が詠んだ歌:

空蝉の唐織りごろもなにかせん錦も綾も君ありてこそ

の紹介、その後鳥羽伏見の戦いから征東軍が江戸に向かう最中に、何度も朝廷に対して手紙を書いて徳川家の家名存続、慶喜の助命嘆願に尽力したこと、その後明治の世になっても京へ戻ることなく暮らし、亡くなる前に家茂公の傍に葬って欲しいと伝えたこと、などのエピソードが紹介されました。

菩提寺は東京・芝の増上寺。ここに2人は眠っています。(一般非公開とのこと)

幕末の時代のうねりに翻弄されたのは、男性だけじゃなかったんですね。。改めて彼女の気持ちに思いを馳せてしまう番組でした。
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2006/03/06(Mon) | 「組!」以外の幕末維新もの映像・演劇 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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