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浦賀&久里浜・開国の町歩き(5) ~愛宕山公園~
※全体地図はこちらを参照してくださいね

西浦賀の渡船場から1本、道を入ると、愛宕山公園の上り口はすぐです。
公園は丘(ちょっとした小山)の上にあり、階段をひたすら上ります・・・チビッコは張り切って先導。たまたま一緒になった街歩きのご夫婦と一緒に階段を上りました。
階段、といっても下は土なので、うっそうとした森の中では滑りやすい個所もあります。お出かけされる際は、サンダルやヒールはやめておきましょう。運動靴、が最適。

◆愛宕山公園◆ 所在地:横須賀市西浦賀町1-23 交通:京浜急行「浦賀」駅よりバス「紺屋町」下車徒歩10分
愛宕山公園看板
こちらの公園は、開園が明治24年(1891)と横須賀市内で一番古いそうです。昔は「浦賀園」とも言われていました。
小高い山の上にあり、上っていく途中で浦賀湾が一望できるスポットもあります。
こんな感じです。
途中の展望場所から見た浦賀港

↑の風景、だけでもウルウルきそうなんですが、まだまだです。まだまだ。

上りきったところにまずお出ましなのが「咸臨丸出港の碑」。
安政7年(1860)、日米修好通商条約批准書交換のために渡米する使節団の護衛艦として一緒に行った「咸臨丸」の乗組員全員の名が、碑の裏に刻まれています。勝先生、福沢諭吉、などなどおなじみの方々の名前がありました。
案内板です。
咸臨丸碑の看板

肝心の碑、の写真は・・・撮れていませんでした(謝)チビッコがどんどん先に行ってしまって、ピンボケ写真が1枚だけ。。泣く泣く削除してしまいました。

さらに階段を上ると、中島三郎助を紹介する看板があります。
中島三郎助の紹介

左手の小高い場所に、三郎助の招魂碑が立っています。
招魂碑の案内

招魂碑

この碑は、明治24年(1891)、三郎助の23回忌に地元の商人や知人が中心になって建てられたもので、その除幕式には箱館で一緒に戦った榎本武揚(総裁)、荒井郁之助(海軍奉行)も列席していました。碑の篆額は榎本武揚(当時外務大臣)によるものです。
その時、荒井さんが三郎助のためにこの浦賀の地に造船所を作ってはどうか、と発案、榎本さんが即座に賛成。
そして明治29年(1896)に、地元有力者の協力もあり浦賀船渠株式会社が創設されました。今の「浦賀ドック」です。
※浦賀ドックの記事はこちら

碑はかなり大きく、数メートルはあろうか、という高さで、招魂碑に刻まれている文字全部はとても写真に収まるボリュームではありませんでした。それだけ、仲間から思われる人だったのだろうと思います。
ここでもウルウルしてきた私です。。
※隣には与謝野鉄幹・晶子夫妻の文学碑もあります。
 
さらに奥に進むと、眼下に浦賀港を一望できる場所がありました。
浦賀港!

この景色を見て、しばらく立ちすくんでしまった。脳内BGMは勿論、「組!」サントラ1集収録の「夜明け」です。
黒船はどの辺に停泊していたんだろう、その黒船を見て三郎助はどう思ったんだろう、と思うと涙がでてきました。
黒船来航によって日本の歴史が大きく変わり、その最前線に立っていた男が確かに、ここに、いた。
そして時代の変化に抗うように最後まで戦って死んでいった。

中島お父さん!
あなたは、やはり、ラストサムライ、です(涙)・・・ 


感慨にひたった後は、その三郎助の職場だった「浦賀奉行所跡」を探します。
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2006/05/19(Fri) | 中島三郎助史跡巡りin浦賀 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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