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慶応5年5月18日。
今日、6月27日は。
陽暦ベースで、五稜郭が開城した日です。
慶応5年(明治2年)5月18日、早朝。
残った将兵の助命と引き換えに、戦争の首謀者として総裁榎本武揚、副総裁松平太郎、陸軍奉行大鳥圭介、海軍奉行荒井郁之助の4名が投降、戊辰戦争は終結した。

前日、新政府軍陸軍参謀の黒田了介ほか新政府軍の幹部と話し合いの場が持たれた際に、無条件降伏を勧める黒田らに対し、榎本は首謀者以外の将兵の助命を強く主張したという。それを黒田らが飲んだ形で、翌日五稜郭開城となった。

何だかですね・・・この前の「武揚伝」じゃないんですけど、初夏の風薫る季節の朝に釜さん達4人が出頭していく様子を想像すると、何とも言えない気持ちになるんです。あの時、一体どんな気持ちで釜さん、タロさん、ケースケ、荒井さんの4人は五稜郭を後にしたのか。
南柯紀行によれば、「護送中は多分ひどい扱いを受けるだろう、と覚悟していたが、思いのほか丁寧で驚いた」ような記述があります。

結果的には強硬に極刑を主張する桂さん達(要は長州勢)を説き伏せて、了介らは釜さん達の助命を勝ち取ることになるんですが、これには

・釜さんやケースケは当時としてはスーパーエリートで、その知見を国づくりに活かさないのは国家として大損失だから

という説もありますが、私は勿論それはあるものの、意外と

・内戦が思いのほか長引いたうえ、一時は交戦団体と認められた政権の首脳を極刑に処すと、対外的に日本の評価が落ちてしまい(要は「一体何やってんの?日本は」と思われてしまうということ)、ただでさえ不利な条約が結ばれているのに、今後もそれにつけこまれてしまう可能性が高くなるから

じゃないかな。。と思っています。

だから、歴史に「たられば」はないけれど、もし5月11日の箱館決戦の日、歳さんに銃弾が当たらず、五稜郭で終戦の日を迎えたとしても、流罪にはなっても極刑にはならなかったのではないかと思ってしまうんですね。

ああー。

もう一度叫ぼう。

共和国、万歳!!
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2006/06/28(Wed) | 土方歳三(&旧幕臣ズ) | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑
コメント
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>一人虫さん
私も、明治新政府がちゃんとした政権で、国全体としてしっかり成り立っているんです、ということを海外諸国に知らしめるためには、極刑は選択できなかったと思うんですね。。
もし、歳さんが5月18日のあの日、五稜郭に残っていたら。。想像は尽きませんね。
ところで・・・箱館ツアー、の前に、以前の一人虫さんからいただいた「ままこっちはなぜ、続編にこうも違和感を感じるのか」~「ままこっち自身が思う、『再度・歳三と私』」について考えを整理し、記事を立てねばならない、と思っています。その上で、箱館から帰ってきたら、その「思い」に変化があるのかどうかを検証せねばならない、と思います。。
by: ままこっち * 2006/06/28 23:10 * URL [ 編集] | page top↑
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>あろあさん
「五稜郭」は「??」なシーンも多かったですが、概ね満足できる出来でした。開城のシーンもホロリ、でしたね。。
この前購入した「戊辰戦争全史」によると、函館総攻撃の直前の時点で、新政府軍は釜さん達の助命を前提に考えていたと出ています。出典が知りたいです。
相馬が流罪になったのは、やはり坂本さん達の暗殺の嫌疑によるものだったらしいので、もし歳さんがその時点で存命ならば、相馬ではなく歳さんが流罪だったと思います。島でもやっぱりモテるんだろうな・・・(って何て前向きな私!)
by: ままこっち * 2006/06/28 22:45 * URL [ 編集] | page top↑
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>絵美子さん
弁天台場が降伏したのは、激しい砲撃で水がめ(井戸)が破壊され、飲み水がなく米を炊くこともできず、死んだ軍馬の血をすすったと言われるほどギリギリの状況だったためで、彼らにとっては本当に「究極の選択」だったのだと思います。
切石、気持ちを引き締めて見に行きます。
by: ままこっち * 2006/06/28 22:41 * URL [ 編集] | page top↑
--私も叫びます!--

ままこっちさん!私も同意ですよ(涙)
江戸攻めをしようとした西郷に、パークスは「白旗を揚げた相手を攻撃するとは言語道断!」と憤ってますよね。先進国はそんな野蛮なことはしない、というのが欧米列強各国の建前(ウラでは・・・?)でしたし、一応交戦団体としてのお墨付きを与えた手前、関係者達の処刑なんてことは論外だったと思います。
ましてや、当時列強各国がアジア・アフリカを植民地化していった背景には、「無知蒙昧な野蛮人など対等に付き合う必要なし、むしろ支配して導いてあげよう」といった偏見がありましたから、日本も「野蛮国」と思われることは大変危険だったはずです。新政府の人たちは、もったいぶってはいても、そこはちゃんとわかっていただろうと。
それでも、榎本さんは、自分だけは死罪だろうな、と思っていたのではないでしょうか。すっきりと晴れ渡った空を見上げながら、何を考えていたんでしょうか、総裁(涙)
本日、やっと6月らしいさわやかな晴天になりました。色々な花の薫りをのせた風が、気持ちよく吹いていきます。こんな季節が、共和国終焉のときだったとは。

・・・でも、土方君、絶対降伏しませんよ。たぶん、ただひとり戦場を捨て、樺太から大陸へ渡り、馬賊となって(以下略)
北方先生、スミマセン。
by: 一人虫 * 2006/06/28 20:39 * URL [ 編集] | page top↑
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せつないですねえ…。
ドラマ「五稜郭」でも、開城その日ではないのですが、晴れ渡った広い空の下、降伏会見に臨む4人…という場面が、清々しく描かれていました。
大好きなシーンです。
(武揚伝の開城シーンは言わずもがな!)

ままこっちさんのご意見に賛成です。
重ねて、長州勢の「死刑にしちゃえ」という意見自体、本気で言ってたわけでなくて、薩摩閥との力関係を考えての政治的取引だったんでは…と思ってます。
獄中の皆は本気で死刑になるって思ってたようですが。
ので、どっちみち土方さんは降伏してても命は助かったんじゃないかと(相馬のかわりに遠島?)。
どっちが良いかってゆーと、私なんかは「命あっての」という考えなのですけどね(笑)。
by: あろあ * 2006/06/28 12:48 * URL [ 編集] | page top↑
--せつないですね・・・--

箱館で、今は防波堤になっている弁天台場を築いていた石垣に触ったとき、「この石は全てを見てきたのだな・・・」と思ったら、鳥肌立ちました。
泣けてきますよ。
今は、漁港の何てことない石なんですけどね・・・
by: 絵美子 * 2006/06/28 08:12 * URL [ 編集] | page top↑
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