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チーム箱館追跡ツアー #4 ~中島町付近
※全体地図はこちらを参照してください。
地図上の11番が五稜郭公園です。函館の中心地より北西に位置しています。

「歳三最期の地碑」から五稜郭公園方面に向かう途中に、中島町に立ち寄りました。
ご承知だと思いますが、中島町の町名は中島三郎助に、近くの凌雲中学校の校名は高松凌雲(箱館病院院長。衝鋒隊・古屋さんの弟)に、それぞれちなんでつけられています。

◆中島三郎助父子最後之地碑 所在地:函館市中島町36番地 交通:電停「千代台」徒歩5、6分
共愛会病院のある高砂通りから函館税務署方面に曲がってすぐ、グリーンベルト内にあります。電停「千代台」からは、千代台公園を通って徒歩5、6分程度でしょうか。10分はかからないと思います。
通り寄りに木碑。
中島三郎助父子最後之地木碑

その奥に石碑と案内板が。
石碑

案内板

時々、Webサイトで「見つからなかったー!」という記事を目にすることがありますが、木碑さえ見つかれば大丈夫です。同じグリーンベルト内にありますのでよく見て下さい。
木碑は横断歩道からでも確認できますので、比較的見つけやすい碑だと思います。

◆千代ヶ岡陣屋跡 所在地:函館市千代台町22-24(千代台公園陸上競技場脇) 交通:電停「千代台」徒歩3、4分 
「最後之地」とは、高砂通りを挟んで反対側です。こちらの拡大図では、中島小学校よりも通り寄りに見えたのでクルマを共愛会病院のちょっと先に停めて、歩いてウロウロしてみましたが初日は見つけることができませんでした。
夜、函館市民のキトラさんに聞いてみると、競技場のすぐ脇にあることが分かり、翌日の鷲ノ木~川汲巡りの帰途に立ち寄りました。

こちらが案内板。
千代ヶ岡陣屋跡看板

現在の陣屋跡です。見る影なし(涙)・・・市民が汗を流す場所になっています。
現在の千代ヶ岡陣屋跡


中島三郎助(お父さん)については、浦賀レポでかなり詳しい記事を書いていますので、彼がどんな経歴を持った人だったのか、についてはこちらを参照してください。
ここで明治2年(1869)5月11日の箱館決戦後、降伏を決定するまで6日間の動きについて少しおさらいを。

5月12日
・新政府軍の最新鋭軍艦「甲鉄」、五稜郭に向けて艦砲射撃、奉行所の望楼が破壊さる。
・衝鉾隊隊長古屋佐久左衛門、砲撃により重傷を負う(6月に死亡)。
・新政府軍、箱館病院の高松凌雲らを窓口に降伏勧告交渉開始、降伏勧告書を送る。

5月13日
・新政府軍、弁天台場に降伏勧告するが相馬らが拒否。
・五稜郭本営、降伏勧告拒否を決議。
 
5月14日
・榎本、降伏勧告拒否の書とオランダ留学で入手した「万国海律全書」を送る。
・榎本、新政府軍の使者・田島圭(敬)蔵と会談、恭順、降伏を説諭されるも拒否。
・五稜郭から脱出する兵が多数出る。

5月15日
・弁天台場降伏。
・新政府軍、千代ヶ岡陣屋に降伏勧告するも拒否される。
・五稜郭本営、千代ヶ岡陣屋に退避勧告するも拒否される。
 
5月16日
・未明、千代ヶ岡陣屋が攻撃され、中島三郎助父子ら戦死、千代ヶ岡陥落。
・傷病者約200名を湯の川へ退避させる。
・海律全書の返礼として新政府軍より、酒5樽とマグロ5本が贈られる。
・榎本切腹未遂事件発生。衆議の結果、降伏を決議。

※史料により、多少日付が前後するところもありますが概ねこんな感じです

こうやって振り返ると、やはり5月11日の決戦が最後の大勝負だったことが分かります。矢不来が突破された時点でかなり厳しい状況に置かれたとも言えるでしょう。
(※矢不来突破→二股も撤退→新政府軍が富川、有川、七重浜まで進軍)
それから・・・歳さんファンには申し訳ないかもしれないけれど、歳さんの戦死は終結ではなく経過に過ぎない、ということ。彼が弾に当たらず5月11日に五稜郭に帰陣していたとしても、大勢に影響があったとは考えにくいでしょう。

この前の記事にもちょっと書きましたが、降伏のカードを切り出したのは意外にも中島お父さんだったようです(「史談会速記録」による)。

まだ2000人からいる、若者もいる、榎本大鳥の大将格が軍門に下り謝罪すればいい、恭順は自分のためではない、自分以外の者の為の話だ、自分は千代ヶ岡を死に場所と決めている(同、意訳)。

この前入潮さんと飲んだ時、この話がちょっと出ました。あくまで推測ではありますが、

中島さんが主要メンバーの中で最年長だから、降伏の話を切り出す=泥をかぶる役割を買って出たのではないか、

・それで中島さんが千代ヶ岡で戦死した後、次に年長者なのはケースケだから、中島お父さんの遺志を継いで、さらに泥をかぶる役割をすべきは自分だ、と思って衆議の時にケースケが降伏を提案したのではないか

・・・と。
何だかですねえ、もうそんな思いやら何やらが深いところで絡み合って、もう何ともいえない気持ちになってしまうんですね。そして、あの浦賀の海・・・
中島お父さんと、一緒に散った2人の息子さんに思いを馳せ、碑で合掌しました。

時間はお昼時の12時半。いよいよ五稜郭公園へ向かいます!
次の記事は→こちら

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2006/07/16(Sun) | チーム箱館追跡ツアー2006 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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