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チーム箱館追跡ツアー #8 ~立待岬
※全体地図はこちらを参照してください。地図上の11番が五稜郭公園です。函館の中心地より北西に位置しています。
※写真は全てクリックすると拡大します

五稜郭タワーを出た時間は、午後3時すぎ。結構いい時間になってきてしまいました。
元町地区を回るのは、もう無理。この日は、立待岬方面(立待岬、碧血碑)とホテル近くの護国神社で終了することにしました。

◆立待岬 所在地:函館市住吉町先 交通:電停「谷地頭」徒歩20分
谷地頭から両脇が墓地になっている、クルマ1台がようやく通れるくらいの細い坂道を延々を登っていくと立待岬に到着します。
場所は、函館山の南東端にあたります。晴れていれば本州の下北半島まで見渡せる絶景が楽しめるそうですが、あいにくのお天気。残念!

碑。方角としては、大鼻岬方面を臨むほうを背に立っています。
立待岬の碑
看板。正面から写せませんでした。。
案内板

立待岬の名前の由来。「立待」は、アイヌ語の「ピウシ」の訳で「岩上で魚を待ちヤス(漁具)で獲る場所」という意味だそうです。

岬の様子です。岩場が多いです。
岩場多し

立待岬には、寛政年間(1789~1801)に北方警備のための台場が設置され、外国船を監視する戦略的重要拠点の1つになりました。
箱館戦争時には、明治2年(1869)5月11日の箱館決戦の日、新政府軍の軍艦「陽春」に向けて、立待台場から大砲2、3発放ったという記録が残っています(荒井宣行「蝦夷錦」)。

また、直接立待岬には関係ないのですが、函館山の南東部にあたるこの立待岬から先、大鼻岬を回って船見町、入舟町方面の海岸線はほとんどが絶壁です。大鼻岬を回るとその先に一部浜になっている場所があり、そこが新政府軍の上陸地点の1つ、寒川です。(もう1ヶ所は山背泊、現在の外人墓地付近)
大鼻岬方面の絶壁。
大鼻崎、寒川方面に続く崖

その寒川について少々調べてみました。
寒川は富山県出身の方が明治17年頃に入植したのが始まりだそうですので、箱館戦争時はまだ無人で未開地だったと想像されます。
この近辺はブリやイカなどが豊富な良質の漁場で、最盛期には30戸近い集落まで発展したそうです。ただ、函館の街まで出るには、急峻な山道を登るか、洞窟のトンネルや吊橋(現在は撤去)を渡って海岸の崖沿いの道づたいに穴間、山背泊を回るかしか方法がなく、非常に不便な場所でした。
一時は分教場まであった寒川ですが、電気も水道も通らないこともあってか住民も函館市街に移りだし、数件残っていた集落も昭和29年の洞爺丸台風で壊滅的な被害を蒙ったことで移転を余儀なくされ、無人集落に。その後、町名や地番も廃止され現在に至ります。

現在この寒川に行くには、船をチャーターして海路を行く以外では基本的に函館山を降りていく方法しかないのですが、かなり急峻な斜面なうえ、このあたりはマムシの巣(戦時中スパイ対策で放ったのが増殖したらしい)で有名で、夏はマムシは勿論ダニ、アブも出るという秘境ルートになるので、土地勘のない方は危険だと思います。

ほか、谷地頭から岬までの道すがら、石川啄木一族や、与謝野寛・晶子夫妻の歌碑など文学関連ゆかりの場所でもあります。

岬は吹きさらし。とにかく寒いっ!
売店でつぶ貝の串を食べました(おいしい!)が、お店の方いわく
「いつもホットコーヒーは6月いっぱいで終わるのに、今年は寒くて止められない」
んだそうです・・・やっぱり。体感気温、10月中旬の東京って感じです。

次はここだけは外せない!碧血碑へ向かいます。

次の記事は→こちら

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2006/07/23(Sun) | チーム箱館追跡ツアー2006 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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