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チーム箱館追跡ツアー #23 ~官軍上陸の地
※道南地区南部の概要図はこちら
※写真は全てクリックすると拡大します。

国道227号を走り、江差市内に入ります。海岸近くまで走ると、右に分かれる道が出てきます。そこから先は229号線。道なりに左へ進めば江差市街地、右へ行けば乙部、熊石方面です。
ここを右折し、乙部町へ向かいます。江差市街地→乙部は10kmほどで、クルマさえあれば不便なく行けるところです。
途中のトンネルの名前が「慶喜トンネル」(読み方は「けいきトンネル」)だったのには(滝汗)でしたが、坂道のカーブを曲がると見事な天然の大露頭(グランドキャニオンのような崖で、地層がそのまま残っている)に「おとべ」の文字と、港が見えてきました。

◆官軍上陸の地碑◆ 所在地:爾志(にし)郡乙部町元町171番地付近  交通:江差市街より約10km クルマ20分
国道229号沿い、左手にあります。官軍の三角帽子が目印で、分かりやすいと思います。
道路上方にある看板。
官軍上陸の地看板

こちらが碑です。三角帽子付き。
官軍上陸の地碑・帽子付き

解説板です。
説明板


新政府軍の蝦夷地攻略について。
※参考文献:「麦叢録」(麦)小杉雅之進/「蝦夷之夢」(蝦)今井信郎/「北洲新話」(北)丸毛利恒/「蝦夷錦」(錦)荒井宣行

蝦夷地上陸は、3度にわたって行われています。
まず第一陣。
明治2年(1869)4月9日未明(「麦」「蝦」)、米国船バランス号に約1500人、大阪号に約400人を乗せて江差沖から乙部へ上陸。艦隊は甲鉄、陽春、丁卯、春日等8艘の編成だったようです。(「北」「蝦」「錦」)。
乙部に上陸した新政府軍は3手(松前、木古内、大野)に分かれて進軍を開始。箱館軍側は江差から乙部に出兵しますが、敵の数が多すぎて江差へ後退(「錦」)。
さらに4月11日には第二陣1500名15日に約3000名の第三陣が江差に上陸(「錦」)。まさにピストン輸送状態で続々と送り込まれてくる新政府軍兵士。このとき青森には、合計1万5000もの新政府軍兵士が集結していたそうです(「錦」)。
迎え撃つ箱館軍は約2500の軍勢ですから、その圧倒的な兵力差が分かると思います。

箱館軍も奮戦し、江差~松前では一進一退の展開もありましたが、二股以外のルートでは海陸両方からの攻撃ができるため、新政府軍がじわじわと江差、松前を抜く結果になります。江差、松前の攻防戦については後日別記事にて・・・

乙部には入潮さんに教えていただいた、ケースケとブリュネが入ったかもしれない温泉「乙部温泉」もあります。立ち寄られてみるのもよいと思います。(紹介記事はこちら

次はいよいよ江差へ向かいます。

次の記事は→こちら



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2006/09/04(Mon) | チーム箱館追跡ツアー2006 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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