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チーム箱館追跡ツアー #27 ~開陽丸(4)
皆様お待たせしております。久々の執筆です!

※道南地区南部の概要図はこちら
※写真は全てクリックすると拡大します。

開陽丸艦内の写真をもう数葉。
軍議中の幹部。
軍議の様子

セリフ付きなんですが、歳さん(写真右端)は「はっ!」(承知、の意味)しか言いません(爆)
このお人形の近くに、ドラマ「五稜郭」で使われた小道具の「海律全書※」が展示してあります。
※海の国際法について書かれた本。釜さんがオランダ留学中に入手、当時としては大変貴重な書籍。上下二巻組

帆を広げた開陽丸

帆を広げた開陽丸の模型。年に何回かは帆を広げることがあるんでしょうか。。。見てみたいです。

甲板に出てみました。
甲板

甲板その2

上陸用ボートもあります。これで鷲ノ木浜に降り立ったんでしょうか。

開陽丸は松前攻防戦に勝利し、江差に逃げた松前藩兵の残党を追う陸軍の応援のために江差まで来ていた時、地区特有の風浪に見舞われて座礁、沈没しました。その様子は多くの史料にみることができます。(※はままこっち注)

◆南柯紀行(大鳥圭介)
開陽艦は陸軍応援の為め、十一日箱館出港江差へ回りしに陸軍の戦争は大半落着の後なれば、戦争に及ばず、十二日江差弁天島(※鴎島)の傍に停泊せしに、両三日巳来西北の風烈しく大に困却したり、元来蝦夷地西海岸は冬日西北の風強くして投錨の港に乏しく、江差には弁天島ありて日本船は停泊して風浪を凌ぐべしと雖も、投錨の地挟(狭)くして浅く大艦を容るべからず、故に開陽艦も弁天島より外に錨を投ぜしに、非常の迅風なれば二錨を投ずと雖も功なく、船次第に海岸に倚る勢いなれば、直ちに火を焚き更に蒸気を増し乗出さんとする間に、愈々(※いよいよ)風濤怒狂して終に暗礁に掛りて離るる能わず、之を救わんが為め諸士官万死を顧みず、波濤を凌ぎ百方力をつくすと雖も三日を経て遂に全体破壊し砲礟(※ほうほう)諸武器に至るまで、不残海底に沈没せり、乍去(※さりながら)乗組の士官水夫は小艇にて江差へ上りしを以、一人も亡うことなし、此事間もなく箱館に聞こえければ、諸人大に驚愕、直に回天艦神速艦を出し之を救わしめたけれども、功なき而巳(※のみ)ならず、神速も大風の為め海岸に吹寄られ、遂に廃物となりたり。
全島の海陸軍之を聞き、一一胆を破り肝を寒うし切歯扼腕涙を堕す斗りなり。

◆北洲新話(丸毛利恒)
此日薄暮より風暴く雪隆にして夜に入り猛風凛烈、闔艦(※こうかん)無懈(※おこたりなく)蒸気を貯へ居たりしに二更の頃に至り碇保つ能はず、汽力も風濤の為に効あらず、看々(みるみる)一瞬間に岸頭に吹寄られ遂に洲上に膠入せらる。元来此海底暗礁多くして復(また)乗出ること能はず。如のみならず連日の間激風狂浪止まず、榎本を始め船に在るもの殆三日、漸く風の少く凪る間を計つて僅に兵器を携へ辛じて岸に上ることを得たり。後ち十余日にして全船悉破壊す。

機関を焚いて相当頑張ったみたいですが、浅瀬に乗り上げてしまったらなかなか戻れないんですね・・・
おまけに救援に向かった神速艦もダメになってしまい、旧幕海軍は結果的に江差沖で2隻の軍艦を失ってしまいました。

もう1本記事を書いて、開陽丸はおしまいの予定です。

次の記事は→こちら

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2006/11/25(Sat) | チーム箱館追跡ツアー2006 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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