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「ワーキングプア」について思う。(後) ~抜け出すための意識の切り替え
前回、かつて想定できなかった仕事の種類におけるワーキングプア層拡大の背景と、ワーキングプアにはいくつかパターンがあることを書いた。
今回はワーキングプアから脱却するための方策について書きたい。
◆ワーキングプアは、抜け出せないのか?
まず、前項であげた「2と3のパターン」を抜け出すための方策について考える。

マスコミ等での議論を聞く限りでは、

・日本はいつから「努力が報われない国」になったのでしょう

などという論調が多いように思う。しかし、逆に問いたい。
「日本って、昔から努力すれば報われる国、でしたっけ?」と。

社会主義ではないから、どのような人にもある一定の待遇が保障されている国ではないはずだ。
そのコトバの意味が「そこそこやってりゃ、そこそこの生活が出来た」ということなのだろうか。

かつて日本が多少の波がありながらも右肩上がりで成長を続けていた時代とは、「失われた10年」とも言われる直近10年間は大きく異なっており、その中で社会構造が変化したのだと言わざるをえない。
「そこそこやってりゃ」の「そこそこ」の在り方自体が変化したとも言えるだろう。

資産運用の世界でも同じだ。
かつて誰もが定期預金で年3~5%の利率を享受できていた。要は「特段工夫しなくても、勉強しなくても、アタマを使わなくても、そのくらいの運用利回りを確保できていた」ということだ。
しかし不景気が長引いて限りなくゼロに近い金利が続くようになると、かつてのように「特段の工夫や勉強をしない、アタマを使わない」(=漫然と)同じように定期預金に預けていたら、限りなくゼロに近い利率しか享受できなくなる。ある意味「そこそこの利回りを確保するために、相当の努力が必要になった」ということだ。

だから、非常に厳しい言い方をすれば、ワーキングプア層、になったのはそれなりの理由があると思う。
努力をしなかった、とは言わない。しかし、努力には3つの軸があることを指摘する向きは少ない。
3つの軸とは:

1:努力の「量」
2:努力の「方向性」
3:努力の「質」

である。

往々にして「努力しても報われない」「働いても働いても豊かになれない」の「努力」が示しているのは、1の「努力の量」である
「努力」が報われるためには、当然ある一定水準以上の努力の「量」が必要である。しかし、どんなに「量」をこなしても、2の「方向性」が違ったり、3の「質」が低かったりすれば、それは報われない可能性が高い

そもそも「した努力」を「報いる」のは、自己でなく周囲(もっぱら雇用者)である。それは報酬や評価、新しい仕事(大方は仕事のランクやグレードを上げてくる)で報いる、のである。
ということは、「求められる方向性と質」を担保したうえで、「量」をこなす。それが報われるための大前提ということになる。

前回も書いたように、被雇用者の立場である以上、我々は労働力の「売り手」である。「買い手」である雇用者の立場で、どのように「方向性と質」が求められているのかを把握し、それに基づいて行動しなければ、正当な報酬や評価、次なるステップの機会には恵まれない

そして、往々にしてその「方向性と質」は、下記に集約される

・自立的に、集中して業務に取組むこと
・周囲に対してよい影響を与えること
・手際よく、効率的に業務を進めること
・担当業務に関して創意工夫、改善をこらし現状より効率的合理的に業務を進められる環境構築に向けて提案、努力すること

これらをクリアし、さらにある一定量の努力をすれば、自ずと評価はついてくる。例えば、短期アルバイトから長期アルバイト、長期アルバイトから契約社員、契約社員から正社員、平社員から管理職へのofferが来ることもある。

逆に言えば、単に「マニュアルどおりに」「創意工夫改善もなく」「漫然と」業務をこなしているだけ、では求められる=ニーズのある人材、とは言えず、そのような人材が提供する役務はコモディティ化していく。代替可能、ということである。
これは事業者である3、のケースも同様である。自営業ということは、自分が経営者であるということだ。法人化しているかどうかはこの際関係がない。自分が経営者であれば、事業計画を立て、市場調査を行い、ニーズがどこにあるか、顧客は誰か、提供できるサービスや製品は何か、価格はどのくらいか、を設定し、その事業に必要な資金や設備、インフラを調達したうえで実際の事業運営を行うのが仕事である。
同業他社がもっと安い単価で同じレベルのサービス製品を提供しているのであれば、価格を下げるか、さらに付加価値の高いサービス製品を提供し高単価を維持するか、2つに1つの選択となる。
仕事をコモディティ化させないためには、いかに後者で勝負できるかがポイントだ。
もしくは、地域ごとに需給バランスが異なる場合もあるだろう。それならば、ニーズの高い地域へ移動して事業を続けるのも一考であろう。

それが「努力」の意味するところだと私は考える。単純に「量」ではないのだ。

「意識」を切り替える。今までと異なる視点で仕事に取組んでみる。そこがまず出発点になるかと思う。しかし、実はこの「意識を切り替える」のは結構難しい。そういう視点があるのか、と気付くかどうかが大きな岐路であるし、気付いたとしてもその意識を継続させなければならない。

本来ならば最初の仕事に就いた時からこのような意識、スタンスで仕事に取組んでいれば、ワーキングプアにならずに済んだのではないかと思う。
その観点からすれば、ワーキングプアにならないための努力と、それから脱却するための努力は、同じ要素で構成されているとも言える。
仮に、現時点で低賃金の職務に就いているとしても、努力の「方向性」「質」を押さえた上で「量」をこなせば、次のステップは見えてくると思う。
「そんなこと言っても、今の仕事は楽しくない」と言う人もいるかもしれない。しかし、多くの人にとって仕事は楽しいものではない仕事は「楽しい」「面白い」ものではなく、自分で「3つの軸を持った努力」をすることによって「楽しさ」「面白さ」を見つけ、自分で「楽しく」「面白く」していくものではないかと思う。

もうひとつ、就労可能地域を限定しているがために、思うような仕事に就けないケース
これは個人や家庭の事情で、どうしてもその地域を離れることが難しいこともあるだろうから、全てのケースを解決することは難しい。しかし、前項で書いたように労働力の「売り手」である我々は、地域を移動すれば「買い手」があるならばそこに移動すればよいのではないか。
それを、例えば「友達がいない」「この地域を離れたことがない」等消極的心理的理由で離れないのは、自らが現状を選択していることになるのではないか。
全国的に見ても、現在最も失業率が低いのはトヨタ自動車が業績好調な東海地区かと思う。一番失業率の高い地区の、約半分程度の失業率である。ということは、他地区で仕事がなくても、東海地区に行けば見つかる可能性もあるだろう。

それから、低所得層は例えば子供の教育にも十分な経費を投入できないから、さらに低所得層を生み出す、などとも言われているが、私はそれは100%正しいとは言えないと思う。大学に行きたいのならば、奨学金でも何でも各種制度を利用できるだけすればよいのではないか。
昔は「田舎出身で貧乏だけれど、勉学は抜群に出来た」という人がたくさんいたと思う。彼らは奨学制度などを利用して少しでも負担の少ない上位の国公立大学を目指したりしたものではないだろうか。
あらゆる手をつくして、目的や希望の達成ができないかやりつくしてみる。成績が足りなくて、奨学金がもらえないならもらえる水準になるまで勉強する。そこまで本当にやった上での「進学断念」なのか。簡単に諦めてはいないだろうか。

働く能力と意欲がありながら、病気等の理由で働けない人もいる。
そういう本当の弱者を救済するセーフティネットは必要だ。しかし、何でもかんでも社会のせいにして、努力の構成要素も見極めないのはいかがかと思う。

結局「天は自ら助くる者を助く」のではないだろうか。
ワーキングプア問題を解決するには今一度、「報われる努力とは、どのようなものなのか」を考えてみる必要があるように思う。
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2006/12/14(Thu) | 日々徒然 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑
コメント
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>佐助さん
はじめまして、でしょうか?
記事をよくお読みいただきたいのですが、私は何も芸能人とかそういう特別な職業に就けなかった人のことを言っているのではなく、ごく一般的な事務職技術職についての考えを述べているにすぎません。ただ漫然と生きてきた代償で生活保護以下の暮らししかできないケースもあるだろうに、そういう人と本当に働けない条件下に置かれていて社会として保護しなければならない人、を分けて考えないといけないと考えています。
さらに言えば、芸能人を夢見て努力するのはその方の自由ですが、「何かを選択する」ということは同時に「何かを捨てている」ことになります。芸能人が安定的でない、売れるのは一握りに過ぎない職業であることは誰もが知っていると思います。そのリスクを取ってその道を選んでいるのですから、冷たいようですがその末路がどうなろうと、それは自己責任でお願いしますということです。誰かがお願いしてその選択をしたのでしょうか?自分で選んでいる道、ですよね?
それでもいつか「もうダメだ」と諦めるかもしれません、それが比較的若年であればまだ社員採用の道はあるでしょう。しかし芸能活動と共通するようなスキルを求める仕事は少ないですから、選択の幅は狭いでしょうし、一般的な企業勤務よりも収入は低いかもしれません。そういうことも考えずに単純に夢だけ見てバイト生活をしているのでしょうか?もしそうであれば、やはり生活設計、リスクマネジメント力が弱いと思いますがいかがでしょうか。
それから仕事で採用関係に携わっていますが、私の経験している限りでは大卒だろうとなんだろうと、再就職で新卒レベルの給与しかもらえないというケースはかなりの高年齢であと数年しか会社に貢献できない場合等を除いて少ないと思います。今時そのような条件ではよい人材を採用することは難しいですし、内定を出したところでほかに条件の良い会社に逃げられるのがオチです。
また、一貫した経験を積みしっかりとした技能や技術、スキルがあれば「コモディティ化」していませんので採用の可能性はあります。そういう方の仕事が見つからないのは他の制約条件があるためである場合が多いです。その場合学歴などはほとんど加味されません。今時学歴に縛られている企業は少数派になってきています(特に技術系は)。大手電機メーカあたりでも学歴は不問で募集しています。採用もしています。
何をもって富裕層とおっしゃっているのかも私には分かりかねますが、「何でも努力という言葉で片付けるのは高みから見たものの見方だ」とおっしゃるのでしたら、逆に私は何もかもいっしょくたに「気の毒だ」「可哀想だ」で片付けることこそ、本当に救わなければならない人たち、一方で一生懸命努力し年金も税金もきちんと払っている人たち、双方に対して失礼だと思います。
by: ままこっち * 2006/12/23 13:47 * URL [ 編集] | page top↑
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たとえば、芸能人になりたい人は山ほどいますが、歌手でも
お笑いでも、グラビアアイドルでも、なれる人はほんの一握り
です。そんな狭き門を潜り抜けて芸能人としてデビューできた
人でも、生き残れるのはごくわずか。
芸能人として成功できなかった人は皆、努力の方向性が違って
いたのでしょうか。成功した人とそうでない人は努力の質が違う
のでしょうか。
芸能人を諦めざるを得なかった人の再就職は、どれほど厳しい
ものでしょう。

たとえば、中卒や高卒で企業に就職した。学歴がないなりにその
会社で真摯に働き、上司の信頼も得ていた。でも、その会社が
倒産してしまった。さあ、再就職は?

いまは大卒でも再就職後の給料は新卒並だといわれています。
いえ、正社員で働くこそすら難しい。
どこにでもワーキングプア予備軍はいますよ。事実、私だって
夫婦共働きですが、片方の給料が減ったら途端に生活が苦しくなる。
そんな切羽詰った状況の人がきっと、あなたの身近にはいないんでしょう。

本来、社会福祉がすべきことは、「すべての国民が最低限の生活
をするための保障」です。最低限でいい。それ以上求める人は、
それこそが「努力」や「個人の能力」を活用して儲ければいいのです。
その上の格差ならあっていい。
その「最低限」の保障さえ受けることができないことが問題に
なっているのです。

それを「努力」のひと言で片付けてしまうことの怖さ、浅薄さ、
自分が富裕層の視点でものを言っていることに気付いてください。

長文失礼しました。
by: 佐助 * 2006/12/23 01:44 * URL [ 編集] | page top↑
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>atsuさん
こんにちは初めまして。
かけっこが遅い子、の例ですが、身体能力で食べていける職業はそう多くないのと(その代わり、報酬は高額ですが)、身体能力を伸ばすよりも例えば基礎学力を伸ばすほうが難しくないと思うんですね。。
私自身、学生時代に塾や家庭教師のバイトをしていて、「勉強が出来ない」のではなく「やり方を知らない」だけで、「やり方」を教えてさらに量をこなすことを体験させると皆飛躍的に成績が伸び、さらに成績がよくなったことで勉学に対して積極的になる姿をたくさん見てきました。
その経験からも、「人から評価される方向に導き」さらに「そのベクトルの向きで、努力量を増やす」ことがポイントだと感じています。
それは勉学に限らずスポーツも同じ部分があると思います。早く走るには、腕の振りや歩幅の調節、など改善点がいろいろあるのでしょう。
その「コツ」みたいなものを小中学生のうちに見つけるあるいは、誰かが導いてやるか否かで大きく差が出るように思います。
そうは言っても本人の努力量も大事なので、何でも社会のせい、周りのせい、人のせい、では正しいベクトルで一生懸命努力し、さらに成果を出してそれなりの報酬を得て、多額の税金を払っている人に対して失礼だと思います。
もっと活発に議論されるといいのに、と思います。
普段は戊辰戦争メインですが、たまに時事ネタを書いていますので、よろしければまたお立ち寄り下さい。
by: ままこっち * 2006/12/22 21:27 * URL [ 編集] | page top↑
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はじめまして。ワーキングプアで検索をしていてたどり着きました。
個人の努力の方向性…たしかにそうですね。
ただ、個人の能力には限りない幅があって、誰もが同じレベルで
できるということはありえません。
ふと思ったのは、どうしても100Mを10秒で走ることのできない
子どもに「お前の努力が足りないからだ」と言う人は少ないだろうに、ことWP問題についてはそう言う人が多い
のは何でなんだろう…ということ。
私自身、この問題についてもう少し考えていきたいと思います。
by: atsu * 2006/12/21 13:18 * URL [ 編集] | page top↑
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>ヒロシさん
コメントありがとうございます。
そぉーーーーーうなんです!!全くヒロシさんのおっしゃるとおり、で「それが分かっていればワーキングプアになっていない」と私も思います!
だから、こんなWebの隅っこで私なんぞが叫んだところで効果はなく、もう少し公(マスコミ含め)の場や立場におられる方からアナウンスメントを流すだけでも違うと思うんですね。それで、気付く人もいると思うし、ゼロにするのは難しくても、現状より減らすことは可能なはずなのです。
でもそういう「モノの考え方」や、「物事に対する取り組みスタンス」などは小さい頃からの教育や習慣づけで決まってくると思うので、もし本当に家庭の教育力が低下しているならば、例えば学校教育で少しでも補完する、とか打ち手がないわけではないと思います。
小学校から英語を教えるのではなく、こういうことを教える時間にして欲しいです。
大人に対しては、ハローワークや職業訓練校等の公的機関で、仕事の紹介や技能、技術取得だけでなく「今、こういう考え方をすることが必要」と、その面からのアドバイスや指導をしっかりするだけで随分違うのではないかと思います。
by: ままこっち * 2006/12/16 08:23 * URL [ 編集] | page top↑
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後編のUPありがとうございました。
大変、有意義に読ませていただき、いろいろと考えさせられました。
ただ、努力の質や方向性を見出すことができないからワーキングプアでいるのだと思います。
脱却できる能力があるのならワーキングプアになってないかなとか、多少の計画性だけでもあれば、ずいぶん違うのになと思います。
かくいう私もリストラされたら終わりかなっていう立場なので微妙です。
by: ヒロシ * 2006/12/15 15:08 * URL [ 編集] | page top↑
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