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チーム箱館追跡ツアー #31 ~折戸浜古戦場&砲台跡(2)
※道南地区南部の概要図はこちら
※写真は全てクリックすると拡大します
※江差~松前間の距離、地名などの情報は前記事を参照下さい

めちゃ久しぶりの箱館レポです!この調子ですと出産前の完結は厳しいかもしれません(平伏)が、気長にお付き合い下さいまし・・・
文章、画像ともボリュームが多いので、記事をさらに分けようと思いましたがいつUPできるか微妙になってしまうので、今回で折戸浜はオシマイとさせていただきました。その代わり記事は長いです(すみません)。

引き続き明治2年(1869)4月の、江差~松前攻防戦について、です。
本記事では松前撤退に追い込まれた「4月17日」をしつこく(爆)追いかけてみました。
当日の様子を時系列でまとめています。

※参考文献:
「説夢録」石川忠恕(「説」)/ 「遊撃隊起終録」玉置弥五左衛門(「遊」)/ 「北洲新話」丸毛利恒(「北」)/ 「蝦夷錦」荒井宣行(「蝦」)/ 「南柯紀行」大鳥圭介(「南」)/ 「麦叢録」小杉雅之進(「麦」)/ 「島田魁日記」島田魁(「島」)
◆明治2年(1869)4月17日:
江良~折戸ですさまじい銃砲戦、死傷者多数を出し、ついに福山城陥落。箱館軍は吉岡、福島まで撤退。

・未明
江良の敵陣に向け進撃すべく午前3時頃、彰義隊から斥候を4人出したが、敵兵と遭遇したのか生死は不明。
次に斥候隊を先に立てて江良の近くまで進んだところ敵の斥候隊に遭遇、銃砲戦に及ぶ(説)。

・午前7時~午前中
新政府軍の軍艦が数隻進んできて、箱館軍を側面から攻撃、後方の折戸台場にもさかんに攻撃してきた(説)。この時攻撃してきたのは春日艦(遊/麦/北/島)。
兵士は各々、この地で討死しても構わないと必死奮闘し、敵陣へ斬り込み討死する者が多かった。
一進一退を繰り返しながら遂に折戸三所の台場、胸壁に拠る(説)。

・正午頃
昼頃になって敵艦が福山城の港に入ってきて、城内外をしきりに砲撃(説)。陸軍はわずかに三小隊ばかりで防戦したが、敵の多勢に取り巻れほとんどが討死または捕縛され、帰還した者はわずか3名にとどまる(説)。
海側では兵をまとめて折戸台場で防戦(北)。敵艦は甲鉄・朝陽・丁卯・陽春・飛竜の五隻(北)で、海岸に近づき激烈な砲撃を仕掛けてくる(北)。箱館軍も奮戦し、敵を相当数斃した(麦)。

・午後4時頃
激烈な戦闘は4時間あまり続き、一進一退の展開であったが(北、麦)、山の手側がついに破られて崩れる(麦)。
軍艦からの砲撃は松前城中、砲台、市街に桜が散る如く飛散してくる(北)有様で、ついには城中にて白兵戦に(島)。
城中でも士官が奮戦するも、銃撃で戦死する者もあり、弾薬も尽きたところで兵をまとめて退却(説、北、麦、島)。

・夜半
海岸沿いの道を退却する途中、陽春艦に砲撃される(麦)も死傷者を出さず、吉岡まで退却(説、島)。さらに先に進み、午前1時頃(麦)、福島に到着。

この日は激烈な戦闘が各所で繰り広げられ、特に海岸線沿いは敵艦複数による砲撃がものすごくて、遊撃隊をはじめ各隊の士官クラスの猛者が多数戦死しています
一番詳しく出ている「説夢録」によると、死傷者は以下の通り:

・戦死
陸軍奉行添役:唯内二郎、佐久間悌二、大塚良助(添役助)
一聯隊:杉山敬次郎(差図役頭取)、小野又次郎(差図役)、渡辺左忠(同並)
遊撃隊:岡田斧吉(頭取改役)、本山小太郎(頭取)、加藤精一郎(差図役下役)、森田弥総治(差図役)、鈴木徳蔵(嚮導役)
彰義隊:大池竹蔵(嚮導役)、小島福太郎(押伍)、内山村蔵(同)、松平健次郎(同)
陸軍隊(春日隊):大津清一郎(差図役並) 
ほか兵卒

・負傷
陸軍隊:今井八郎
遊撃隊:幕内幡次郎(差図役並)、山田一郎(同)、中島健之助(嚮導役)、高寺健蔵(伍長)、相原佐四郎(同)、菊地泰之助(隊士)
一聯隊:三木軍司(歩兵頭並勤方)、横田豊三郎(頭取下役)、奥山録三郎(差図役並)、中山真太郎(同)
仏人教師:カヅヌーフ
ほか諸隊兵卒無数 

遊撃隊の本山小太郎は、年の暮れになってイバハチこと伊庭八郎と一緒に箱館にやってきた、イバハチの親友です。

しかし多勢に無勢でただでさえ不利な状況なのに台場で4時間持ち堪えたのはすごいと思います。どこで戦っていたのか、ご覧いただきたく調べに調べて、写真を撮ってまいりました!
★ようやく箱館レポで一番レアな写真の登場です★

◆折戸浜古戦場跡&砲台跡の碑◆ 所在地:松前郡松前町建石220番地付近 交通:松前市街地から車10分くらい
こちらが折戸浜古戦場跡の碑です。
折戸浜古戦場跡の碑

砲台跡の碑です。文字は消えていてほとんど判別不能(汗)
折戸浜砲台跡の碑

後で行かれる方のために、場所について少々情報を。
松前から江差に向う方向で北上する場合は、国道を走っていて右手に松前消防署が見えたらもうすぐです。
碑はいずれも国道の左側にあります現れる順番は松前側から、砲台跡→古戦場跡(→折戸浜海岸)です。
砲台跡のほうが見つけやすいかもしれません。路側帯というか休憩スペースのような、車が停められるようになっているところにあります。下記写真を参考にしてください。
松前方面から見た折戸浜砲台跡碑周辺

古戦場跡はさらに進んで、折戸浜海水浴場に至る下り坂にさしかかる手前、左側にあります
周囲の風景はこんな感じです。
松前方面から見た折戸浜古戦場跡碑周辺

古戦場跡の碑から折戸浜海岸方面を写してみました。
折戸浜古戦場跡碑先から見た折戸浜海岸

とにかく木碑の字はほとんど消えかかってますので、見つけるのは相当根性がないと厳しいと思いますが、上記情報を参考にして頂くと、比較的スムーズに見つかるかなと思います。

次は松前(福山)城へ向います(まだまだ続きます・・・)。

次の記事は→こちら
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2007/03/01(Thu) | チーム箱館追跡ツアー2006 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
コメント
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>歳希さん
そうです!松前撤退、は4月17日でございます。
頂いたコメントは、「翌日5月18日」とありましたので、多分「翌月」のマチガイだろうなあ、と勝手に推測してました(汗)
いずれにしてもこの後1ヶ月、死闘を繰り広げることになるんですよね・・・(涙)
次回のレポは松前(福山)城ですが、史料まとめとしては進軍して行った時(明治元年11月)を書こうと思っています。気長にお付き合い下さい。
by: ままこっち * 2007/03/06 23:26 * URL [ 編集] | page top↑
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ままこっちさんのお返事コメを、ウン!なるほど~!そうなのね~!と読んでいて、ワタクシ・・・自分コメの最大の間違い発見!!
これ4月17日なのですよね~?
ワタクシ5月17日と、完全に思い込みをして読んでおりました!(滝汗)
馬鹿だわ~自分!!降伏にはまだ1ヶ月あるじゃない。。。
読み違え、すみませんでした!!

by: 歳希 * 2007/03/05 18:55 * URL [ 編集] | page top↑
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>歳希さん
松前ルートが破られた結果、防衛線を木古内口まで下げざるを得なくなりますので、やはりここで負けたのは相当しんどかったと思います。と言っても敵さんは甲鉄はじめ軍艦ワンサカで襲来してますんで、海陸両方からやられてしまうとどうしようもないですね。兵力も差が開いているし。
そう考えると山間部の二股の有利さが際立ちます。布陣していた人数も少ないけれどめちゃ精鋭を送り込んでいるし、地形的にも待つ(守る)ほうが圧倒的に有利。
私は江差から行きましたんで、反対車線を凝視して碑を何とか見つけることができました。箱館戦争写真集に載っているのはだいぶ前の撮影のようで、現在木碑の文字はほとんど消えている状況です。雰囲気だけでも感じていただけると幸いです♪
by: ままこっち * 2007/03/05 00:31 * URL [ 編集] | page top↑
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ままこっちさん、こんな時間刻みのレポを見たのは初めてです!!
4月17日だけでも、こんなに目まぐるしく時代が流れていってるんですね。
考えてみれば、翌日18日には蝦夷共和国は降伏してる訳ですもんね~。
レア写真もありがとうございます。
たぶんこの辺は行けないと思いますんで、写真を見ながら思いを馳せます。
by: 歳希 * 2007/03/04 14:04 * URL [ 編集] | page top↑
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